合気道は、不世出の天才武芸家植芝盛平先生が、日本古来の各流各派の武術の精髄をとり入れて、それに先生独自の工夫を加えて近代武道として集大成されたものです。 合気道には自然にさからうような動きはありません。もし相手がひけばその動きをさえぎらずにそれに従い、相手の体勢を崩すように誘導していく。つねに相手に同化していこうとする、これこそが「和の武道」のいわれです。 また通常の稽古は純粋武道ですので試合形式によらず、自ら仕手(技を行う者)受け(技を掛けられる者)になって形を反復稽古しながらこれを身につけ、実際役立つようにします。
寺田精之最高師範は、宗家・塩田剛三先生と共に養神館合気道の設立と発展にご尽力されてきました。本部道場師範を務められた後、警視庁、企業、大学、海外各国でもご指導されました。平成20年には最高段位である十段を贈られ、また、長年のご功労に対し養神館より感謝状を贈呈されました。天真館館長の北川俊比古は寺田師範の高弟として、現在もその精神と業を現代に伝えるべく尽力しております。

「養神館」は、昭和30年に新宿区筑土八幡に設立され、現在は新宿区上落合に道場の拠点を置いています。宗家・塩田剛三先生は大正4年に、名医でしかも国士としても著名な塩田清一氏の次男に生まれ、18歳にして合気道開祖植芝盛平先生の門に入り、約8年間、行住 座臥、常に植芝先生とともに在って合気道一筋に修行を積まれました。「養神館」は全国各地に支部・団体があり、警視庁の機動隊や婦人警官の正課ともなっています。また初代宗家は、実戦の逸話も多く、他の武道界にも広くその名を知られており、故人となった現在でも人気が高く、初代宗家に憧れて入門する人が後を絶ちません。

 

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合気道は、その端を「大東流合気柔術」に発しています。大東流は今から八百余年前、源義家の弟、新羅三郎義光が創始したといわれるもので、甲斐源氏武田家が代々これを秘伝の武芸として門外不出のまま伝えてきました。そのため明治時代になって武田惣角先生によって世に公開されるまで、一般にはその存在すら知られなかったものと伝えられています。 合気道は、この武田惣角先生の門人の中でとくに卓越していた植芝盛平先生が、大東流に我が国古来の各流各派の武術の精髄を取り入れ、それに独自の工夫を加えて確立されたものであり、精神技術両面において現代に即応した武道として戦後発表されました。